鎌倉時代前期の公卿で、摂政・近衛基通の四男。元服後、建久8年(1197年)に従五位上・侍従に任じられ、その後も急速に出世。正治元年(1199年)には従四位下・右近衛中将に、建仁2年(1202年)には従二位に叙される。元久元年(1204年)には20歳で権中納言に任ぜられ、翌年には正二位・中納言となる。建永元年(1206年)に権大納言、建保3年(1215年)に大納言を歴任。建保6年(1218年)に大納言を辞任し、寛喜元年(1229年)には子・静基が実相院を創建。建長3年(1251年)に出家し顕恵と名乗るが、没年は不詳。











