戦国時代の公卿である彼は、大叔父の婿養子となり、一条家11代当主として従一位・関白、左大臣、内覧を歴任した。永正14年(1517年)に9歳で元服し、正五位に叙せられ、翌年には従三位に昇進した。天文14年(1545年)には関白に就任し、室町幕府の奉公衆や民衆と共に細川国慶の強引な徴収を阻止するために武力を用いる計画を立てた。実家の土佐一条氏では、幼い当主が相次いだため、天文12年(1543年)には土佐国に下向し、当主代理として政務を執った。弘治2年(1556年)に48歳で薨去した。
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一条房通の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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