系譜で辿る日本史

藤原頼長

平安時代末期の公卿

氏族藤原北家御堂流
生没1120年 - 1156年
位階従一位
官職左大臣
幕府職

兄で関白の忠通と対立。父・忠実の後押しにより藤原氏長者・内覧となり、その苛烈で妥協を知らない性格により悪左府(あくさふ)の異名を取った。
後に鳥羽法皇の信頼を失い、さらに政敵の美福門院・忠通・信西らに追い詰められ、保元の乱で敗死した。

配偶者
主な祖先

源師房

4親等祖先

継体天皇

20親等祖先

藤原内麻呂

12親等祖先

宇多天皇

8親等祖先

阿倍比羅夫

16親等祖先

主な子孫

藤原師長

1親等子孫

男系子孫のみ表示

養子関係を非表示