戦国時代の公卿であり、二条家12代当主。文明15年(1483年)に従三位に叙され、元服時に足利義尚から偏諱を受けて尚基と名乗る。延徳3年(1491年)に内大臣、明応6年(1497年)には藤氏長者および右大臣、関白に任じられる。一方で、二条家の経済状況は悪化しており、戦乱の影響でさらに困窮。明応6年(1497年)に27歳で死去した。彼の死後、三条西実隆は二条家の困窮ぶりを記録し、尚基が着るものさえない状況にあったことを伝えている。
主な祖先
二条尚基の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















