藤原 仲麻呂(ふじわら の なかまろ)は、奈良時代の公卿。左大臣・藤原武智麻呂の次男。橘奈良麻呂の乱では、対立する橘諸兄やその子・奈良麻呂、兄であり右大臣の藤原豊成らを追い落とし、これによって仲麻呂は太政官の首座に就き名実ともに最高権力者となった。
孝謙上皇の時代、上皇は自分を看病した僧・道鏡を側に置いて寵愛するようになった。孝謙上皇・道鏡と淳仁天皇・仲麻呂との対立は深まり危機感を抱いた仲麻呂は軍事力の掌握を企てるが、上皇方に先手を打たれると平城京を脱出する。子の辛加知が国司を務めていた越前国に入り再起を図るが、これも官軍に阻まれて失敗。仲麻呂は近江国高島郡(現:滋賀県高島市)の三尾で最後の抵抗をするがここでも敗北する。敗れた仲麻呂は妻子と琵琶湖に舟をだしてなおも逃れようとするが、捕らえられて諸共斬首された。享年59。僅か1週間ほどの間での急転直下の滅亡となった。
乱によって仲麻呂の一族はことごとく殺されたが、六男の刷雄は幼少時より仏道修行に励んでいたとして死刑を免れ隠岐国への流罪となり、のちに赦されて桓武天皇の時代に大学頭や陰陽頭を歴任している。
藤原仲麻呂
(藤原恵美押勝)
藤原武智麻呂の次男
氏族 | 藤原南家 |
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生没 | 706年 - 764年 |
位階 | 正一位 |
官職 | 太政大臣 |
幕府職 |
配偶者
主な祖先
主な子孫
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藤原仲麻呂
- 藤原真従
藤原仲麻呂の長男
生没 ??? - ??? 位階 従五位下 官職 中務少輔 幕府職 - 藤原真先
太政大臣・藤原仲麻呂の次男
生没 ??? - 764年 位階 正四位上 官職 参議 幕府職 - 藤原訓儒麻呂
太政大臣・藤原仲麻呂の三男
生没 ??? - 764年 位階 従四位下 官職 参議 幕府職 - 藤原朝狩
太政大臣・藤原仲麻呂の四男
生没 ??? - 764年 位階 従四位下 官職 参議 幕府職 - 藤原小湯麻呂
太政大臣・藤原仲麻呂の子
生没 ??? - 764年 位階 従五位上 官職 丹波介 幕府職 - 藤原刷雄
太政大臣・藤原仲麻呂の六男
生没 ??? - ??? 位階 正五位下 官職 図書頭 幕府職 - 藤原薩雄
太政大臣・藤原仲麻呂の七男
生没 ??? - 764年 位階 従五位下 官職 右虎賁率 幕府職 - 藤原辛加知
太政大臣・藤原仲麻呂の八男
生没 ??? - 764年 位階 従五位下 官職 越前守 幕府職 - 藤原執棹
太政大臣・藤原仲麻呂の九男
生没 ??? - 764年 位階 従五位下 官職 美濃守 幕府職 - 藤原真文
生没 ??? - 764年 位階 官職 幕府職 - 徳一
三一権実諍論
法相宗の僧
生没 ??? - ??? 位階 官職 幕府職 - 藤原児従(藤原御楯・室)
藤原仲麻呂の娘
生没 ??? - ??? 位階 官職 幕府職 - 藤原東子
藤原仲麻呂の娘
生没 ??? - 816年 位階 従四位下 官職 幕府職 - 藤原額
藤原仲麻呂の娘
生没 ??? - ??? 位階 官職 幕府職
- 藤原真従