藤原 豊成(ふじわら の とよなり)は、奈良時代の貴族。藤原南家、左大臣・藤原武智麻呂の長男。
天平9年(737年)、天然痘によって8月までに父の左大臣・武智麻呂をはじめ藤原四兄弟が急死し、藤原氏の公卿が不在となる。豊成は藤原氏の氏上(藤氏長者の前身)となり、9月に従四位下、12月には参議兼兵部卿となり一躍公卿に列す。こののち聖武朝後半の橘諸兄政権下でも藤原氏の代表として遇されるとともに、諸兄から信任を受けて政権のなかで有力な存在となる。
749年に孝謙天皇が即位すると、弟の藤原仲麻呂が参議から一挙に大納言に昇進して紫微令と中衛大将を兼ね、光明皇后と孝謙天皇の信頼を背景に急速に台頭。仲麻呂の権勢は両大臣である諸兄・豊成を凌ぐほどになる。
757年の橘奈良麻呂の乱では、謀反の企てに関する報告を受けながら孝謙天皇への奏上を行わず、その他政争も重なった結果、右大臣を罷免され大宰員に左遷となる。だが、豊成は抗議の意を込めて「病気」と称して難波にあった自分の別荘に籠ったことから、大宰府行きは無期限延期状態となり、そこで8年間の隠遁生活を送った。しかしその後、藤原仲麻呂の乱で仲麻呂が敗死すると、橘奈良麻呂の乱における豊成の罪状は仲麻呂による偽りの中傷とみなされ、豊成は罪を赦され従一位・右大臣として政権に復帰した。
藤原豊成
藤原武智麻呂の長男
氏族 | 藤原南家 |
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生没 | 704年 - 766年 |
位階 | 従一位 |
官職 | 右大臣 |
幕府職 |
配偶者
主な祖先
主な子孫
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藤原豊成
- 藤原武良自
右大臣・藤原豊成の長男
生没 ??? - ??? 位階 従五位下 官職 丹後守 幕府職 - 藤原継縄
右大臣・藤原豊成の次男
生没 ??? - ??? 位階 正二位 官職 右大臣 幕府職 - 藤原真葛
右大臣・藤原継縄の長男
生没 ??? - ??? 位階 従四位上 官職 治部卿 幕府職 - 藤原乙叡
右大臣・藤原継縄の次男
生没 761年 - 808年 位階 従三位 官職 中納言 幕府職 - 女(藤原清成・室)
藤原継縄の娘
生没 ??? - ??? 位階 官職 幕府職
- 藤原真葛
- 藤原乙縄
右大臣・藤原豊成の三男
生没 ??? - 781年 位階 従四位上 官職 参議 幕府職 - 藤原縄麻呂
右大臣・藤原豊成の四男
生没 729年 - 780年 位階 従三位 官職 中納言 幕府職 - 中将姫
日本の伝説上の人物
生没 747年 - 775年 位階 官職 幕府職
- 藤原武良自