藤原 田麻呂(ふじわら の たまろ)は、奈良時代の公卿。藤原式家。
天平12年(740年)長兄が起こした藤原広嗣の乱に連座して隠岐国に配流。後に罪を赦されて帰京するが、政治とは関わらず、蜷淵の山中に隠棲し修行に努めた。宝亀元年(770年)光仁天皇の即位に伴い、それを擁立した藤原良継らによる式家主導体制が確立する中、田麻呂も昇叙を重ねていく。ついには天応2年(782年)左大臣・藤原魚名の失脚に伴い、従二位・右大臣として太政官の首班に立った。
藤原田麻呂
藤原式家の祖である参議・藤原宇合の五男
氏族 | 藤原式家 |
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生没 | 722年 - 783年 |
位階 | 従二位 |
官職 | 右大臣 |
幕府職 |
配偶者
主な祖先
主な子孫