室町時代から戦国時代初期にかけて活躍した公卿。一条兼良の長男として生まれ、足利将軍家から偏諱を受けて教房と名乗る。永享10年(1438年)に元服し、翌年には正三位・権中納言となり公卿に列する。長禄2年(1458年)には関白・氏長者に就任。応仁の乱が勃発すると奈良に避難し、その後土佐国幡多荘に下向。地元で生活基盤を築き、京都文化を移入し中村繁栄の基礎を築く。文明12年(1480年)に58歳で死去。長男の政房は応仁の乱中で戦死しており、家督は弟の冬良が継承。次男・房家は土佐に土着し、土佐一条氏の祖となる。
一条教房の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫









