江戸時代前期の公卿である。文禄5年(1596年)に正五位下に叙され、右近衛権少将となる。以降、官位を順調に昇進し、慶長16年(1611年)には内大臣に任じられる。後水尾天皇の即位時には内弁を務めた。慶長17年(1612年)には右大臣、同年7月に関白となるが、元和元年(1615年)に辞任。九条忠栄の左大臣辞退に伴い左大臣を務めるが、元和6年(1620年)に辞退。元和7年(1621年)に32歳で薨去した。長年の病により癩病であったとの説もある。
主な祖先
鷹司信尚の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















