室町時代から戦国時代初期の公家である九条政基は、関白や左大臣を歴任するも、家領経営を巡る対立から子の尚経と共に家司の唐橋在数を殺害し、勅勘処分を受けた。和泉国日根荘に下向して荘園の直務を行い、この間に書いた日記『政基公旅引付』は16世紀初頭の村落の実態を記録したものとして知られる。応仁の乱を避けながら、日根荘の支配を試みるも失敗し、晩年は家司との衝突や家中の戦乱に巻き込まれた。永正13年(1516年)に72歳で死去。法号は慈眼院で、墓は東福寺にある。
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九条政基の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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