鎌倉時代中期の公卿である。摂政関白太政大臣を務め、九条家の4代当主となった。日記『洞院摂政記』の著者としても知られる。兄弟の中で源頼朝の血統が絶えた後、摂家将軍の候補に挙げられたが、弟・頼経が将軍に迎えられ、自身は九条家を相続した。教実の代に九条家は分裂し、次弟の良実が二条家、四弟の実経が一条家をそれぞれ創設したため、教実の系統は後九条家と呼ばれることもある。安貞元年(1227年)に右大臣、寛喜3年(1231年)に左大臣に任じられ、同年に父から関白と藤氏長者を譲られたが、実権は父に握られていた。安貞2年(1232年)には後堀河天皇が譲位し、四条天皇が即位するとその摂政となった。文暦2年(1235年)に薨去した。
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九条教実の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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