戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿・古典学者。若い頃は経済的困窮により堺や九州に住むこともあった。永正11年(1514年)に従三位に叙せられ、その後内大臣を経て天文2年(1533年)には関白となるが、経済的困窮から辞任。天文15年(1546年)には九条家の墓所を重修。出家後は行空、恵空を名乗り、古典研究に励む。天正元年(1573年)には『嵯峨記』を記す。文禄3年(1594年)に88歳で薨去。古典研究者としても名高く、多数の書物を著した。
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