細川 氏綱(ほそかわ うじつな)は、戦国時代の武将。典厩家4代当主・細川尹賢の子として誕生。父の従兄弟(従伯父)であった細川高国の養子となる。細川晴元に攻められ自害した養父と、その晴元方に転じて生き残りを模索しながら殺害された実父、2人の仇を討つべく晴元打倒の機を窺い続けた。
1538年以降断続的に蜂起し続け、当初は晴元の圧倒的な勢力の前に劣勢であったが、晴元方の中核・三好長慶の寝返りが決定打となり、晴元を京から追放。細川京兆家の当主となる。
細川氏綱
![](no_image.jpg)
細川京兆家18代当主
氏族 | 清和源氏義国流細川氏 |
---|---|
生没 | 1513年 - 1564年 |
位階 | 従四位下 |
官職 | 右京大夫 |
幕府職 | 室町幕府摂津守護 |
配偶者
主な祖先
主な子孫