源 融(みなもと の とおる)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。嵯峨天皇の第十二皇子。紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの有力候補といわれる。
貞観8年(866年)応天門の変が発生して、大納言・伴善男は失脚、兄の左大臣・源信は籠居して出仕を取り止めてしまった。更に貞観9年(867年)には右大臣・藤原良相や大納言・平高棟といった大官が相次いで没したこともあり、融は急速に昇進する。貞観14年(872年)には太政大臣・藤原良房の薨去に伴い、太政官の首班に立って左大臣に任ぜられた。
源融
嵯峨源氏融流初代
氏族 | 嵯峨源氏 |
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生没 | 822年 - 895年 |
位階 | 従一位 |
官職 | 左大臣 |
幕府職 |
配偶者
主な祖先
主な子孫