系譜で辿る日本史

源融

嵯峨源氏融流初代

氏族嵯峨源氏
生没822年 - 895年
位階従一位
官職左大臣
幕府職

源 融(みなもと の とおる)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。嵯峨天皇の第十二皇子。紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの有力候補といわれる。
貞観8年(866年)応天門の変が発生して、大納言・伴善男は失脚、兄の左大臣・源信は籠居して出仕を取り止めてしまった。更に貞観9年(867年)には右大臣・藤原良相や大納言・平高棟といった大官が相次いで没したこともあり、融は急速に昇進する。貞観14年(872年)には太政大臣・藤原良房の薨去に伴い、太政官の首班に立って左大臣に任ぜられた。

配偶者
主な祖先

開化天皇

20親等祖先

仁賢天皇

11親等祖先

武渟川別

15親等祖先

雄略天皇

12親等祖先

仲哀天皇

16親等祖先

主な子孫

男系子孫のみ表示

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