系譜で辿る日本史

藤原宣孝

平安時代中期の貴族

紫式部の夫

氏族藤原北家高藤流
生没??? - 1001年
位階正五位下
官職右衛門権佐
幕府職

藤原 宣孝(ふじわら の のぶたか)は、藤原北家高藤流、権中納言・藤原為輔の子。紫式部の夫。
永観2年(984年)円融天皇が花山天皇に譲位すると、宣孝は院判官代に補せられる。しかし、まもなく今度は花山天皇の蔵人に転じた。長徳4年(998年)山城守を兼ねるが、この頃に紫式部と結婚している。疫病のために長保3年(1001年)死去。『紫式部集』には、夫・藤原宣孝の死去に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている。

配偶者
主な祖先

武渟川別

19親等祖先

藤原定方

3親等祖先

中臣鎌足

11親等祖先

阿倍比羅夫

11親等祖先

藤原高房

5親等祖先

主な子孫

一条昭良

20親等子孫

三条西実枝

17親等子孫

一条内経

14親等子孫

近衛家平

14親等子孫

御匣殿

14親等子孫

男系子孫のみ表示

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