系譜で辿る日本史

新田義興

新田義貞の次男

氏族河内源氏義国流新田氏
生没1331年 - 1358年
位階従五位下
官職左近衛将監 左兵衛佐
幕府職

新田 義興(にった よしおき)とは、南北朝時代の武将。新田義貞の次男。義貞の長男義顕は金ヶ崎城の戦いにて自害したが、義興は出自が低い側室の子であることから重用されず、三男の義宗の方が地位が上であった。
父と対立した足利尊氏が没すると、半年後の1358年(正平13年/延文3年)に挙兵し鎌倉を目指した。これに対し尊氏の子で鎌倉公方の足利基氏と関東管領の畠山国清は竹沢右京亮と江戸遠江守にこの迎撃を命じ、義興と主従13人は多摩川の矢口の渡しで謀殺された。享年28。

配偶者
    主な祖先

    藤原蔵下麻呂

    19親等祖先

    足利義兼

    7親等祖先

    源頼義

    11親等祖先

    源義重

    8親等祖先

    藤原定方

    16親等祖先

    主な子孫

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