系譜で辿る日本史

足利基氏

足利尊氏の四男

氏族河内源氏義国流足利氏
生没1340年 - 1367年
位階従三位
官職左兵衛督
幕府職鎌倉公方

足利基氏は父尊氏からの命により鎌倉公方として下向し、足利氏政権の出張所・鎌倉府として機能した。基氏は南朝方との戦闘のため6年間、入間川に在陣し、このため「入間川殿」と呼ばれた。
父の死後、南朝方の新田義興を滅ぼすと共に、正平16年/康安元年(1361年)には執事として基氏を補佐していた畠山国清と対立した家臣団から国清の罷免を求められた結果、抵抗した国清を討つに至った。後に上杉憲顕を関東管領として鎌倉に呼び、宇都宮氏綱の上野・越後守護職を憲顕に与えて足利家の関東での勢力を固める。
しかし、1367年に基氏ははしかで死去、享年28。同年、兄の義詮も亡くなった。

配偶者
主な祖先

仁明天皇

18親等祖先

文徳天皇

17親等祖先

光孝天皇

18親等祖先

藤原忠平

18親等祖先

源満仲

13親等祖先

主な子孫

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