戦国時代の武士で、足利将軍家の家臣。政所執事として室町幕府の運営に携わった。享禄元年(1528年)に従五位下中務大輔に任じられ、足利義晴、義輝、義昭の三代にわたり仕えた。永禄7年(1564年)、政所執事に就任し、三好氏や京都の要人とも人脈を築いたが、永禄の変で義輝が殺害されると、晴門の嫡子も命を落とした。元亀2年(1571年)、伊勢神宮に関する問題で足利義昭の怒りを買い、逼塞を命じられた。翌年、足利義昭の使者を務めた記録が最後に残り、間もなく死去か引退したとされる。生没年は不詳であるが、永正年間前半の生まれと推測されている。

