江戸時代前期、仙台藩の重臣である柴田朝意は、伊達騒動の中心人物の一人。大坂夏の陣で父が討死し、母と兄と共に伊達勢に捕らえられるが、伊達政宗によって助命され、仙台藩に召抱えられる。寛永5年(1628年)、柴田宗朝の婿養子となり、柴田朝親と名乗る。後に諱を朝意に改める。万治元年(1658年)、藩主伊達綱宗の下で留守居や奉行職を務める。寛文9年(1669年)、谷地騒動において宗重と宗倫の間での不正を幕府に告発される。寛文11年(1671年)、江戸での審問中に原田宗輔を斬ったが、混乱の中で致命傷を負い、63歳で没する。遺骨は米谷の大光寺に埋葬された。

