戦国時代から安土桃山時代にかけて毛利氏の家臣として活躍。天正6年(1578年)、兄の反乱が露見し討伐されたことで嫡男となる。天正12年(1584年)に父が死去し、家督と山口奉行職を継承。天正14年(1586年)には豊臣秀吉の九州平定に毛利輝元の命で出陣。しかし、山口奉行の権限が強く、毛利家の中央行政に従わないことが問題視される。輝元は天正16年(1588年)、元好を出雲国へ移し、奉行職の世襲化を断ち切る策を講じる。天正20年(1592年)に死去。後を継いだ嫡男が同年の文禄の役で戦死し、その息子が家督を継承する。


