安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将。幼少期に伊丹氏が織田信長に降伏し、一族の多くが荒木村重の家臣となる。天正7年(1579年)に村重が謀反を起こし、有岡城を放棄すると宇喜多氏に仕える。豊臣秀吉の九州征伐で武功を挙げるも、賞されなかったため父と共に故郷に戻り、秀吉の馬廻である親族に身を寄せる。その後、小西行長の家臣として2000石を賜り、文禄・慶長の役での功績により5000石にまで領地を広げる。関ヶ原の戦いで西軍が敗北すると、東軍側の実弟と協力し、筑前福岡藩の中老として1000石を与えられ、後に3000石に増加。寛永10年(1633年)に急死。墓所は節信院。

