幕末の会津藩家老である西郷頼母は、文政13年(1830年)に生まれた。10歳で江戸の会津藩中屋敷日新館に入学し、学問や武芸を修める。15歳で家督を継ぎ、23歳で家老に就任。万延元年(1860年)には藩主松平容保に仕え、京都守護職就任問題では辞退を進言するも対立し、蟄居処分となった。戊辰戦争では白河口総督を務めたが敗北し、最終的に逃亡を余儀なくされる。明治期には保科近悳と改名し、教育や神職に携わりつつ政治活動にも参加。最期は会津若松で生涯を閉じた。家族の自害などから忠臣と卑怯者の評価が分かれる人物である。

