日向国の戦国大名であった伊東義祐は、兄の死後、叔父の反乱により家督を追われるも、荒武三省の助力で奪回。天文5年(1536年)に伊東氏の家督を継ぎ、翌年には将軍・足利義晴から偏諱を受けて「義祐」と名乗る。島津氏との長い抗争の末、永禄12年(1569年)には飫肥を完全に領有するが、その後の木崎原の戦いでの敗北を契機に勢力が衰退。天正5年(1577年)に家督を嫡孫に譲り、豊後の大友宗麟を頼るが、耳川の戦いでの大敗を受けて伊予国へと渡る。その後、播磨国に移り、最期は堺で病没した。享年73。義祐の生涯は、戦国時代の大名としての栄光と挫折を象徴している。
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伊東義祐の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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