戦国時代から安土桃山時代の武将である。陸奥国の戦国大名として名を馳せた。天文6年(1537年)、紫波郡で和賀義勝や斯波氏と戦い、天文8年(1539年)には家臣の反乱で三戸城を焼かれたが、同年足利義晴から「晴」の一字を拝領し、南部氏惣領の地位を認められた。家督を継いでからは、南部氏の統一を進め、領土を拡大。しかし、養子信直との確執が続き、元亀2年(1571年)には大浦為信による南部系豪族の討伐が始まるも、晴政は信直との争いに注力し対応を誤る。天正10年(1582年)、病没するが、死因や没年については諸説あり、信直派による謀反の可能性も指摘されている。
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南部晴政の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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