戦国時代の伊予国の武将であり、村上水軍の大将として知られる。河野氏の家臣として活動し、来島城を拠点に府中の反乱鎮圧を行い、地域の有力者となる。天文10年(1541年)には大内水軍の襲撃を撃退し、その功績で河野氏の家督候補となるも、家臣団の支持が晴通に集まり実現しなかった。後に河野通宣の代において軍事や外交で活躍し、毛利元就の厳島の戦いにも参陣した。永禄10年(1567年)に急病で死去したが、その後も子孫は大名として続いた。陸上戦でも多くの武勇伝が残されているが、不明な点も多く議論が続いている。
主な祖先
村上通康の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫














