江戸時代前期の米沢藩士で、武田家2代目当主として活躍。慶長12年(1607年)に米沢で生まれる。寛永4年(1627年)に本庄長房の娘を正室に迎え、同19年(1642年)、父の死により家督を継承し、1000石の禄高を得る。上杉定勝の偏諱を受けて勝信と名乗り、慶安元年(1648年)には藩主・綱勝の命で通称を大隈に変更。寛文3年(1663年)の上杉家の減封により禄高500石となる。延宝2年(1674年)には上杉綱憲の命で通称を大蔵と改める。延宝8年(1680年)に死去。嫡男が夭折したため、妹の嫁ぎ先本庄重長の三男・信秀を婿養子に迎え、家督を継がせた。











