肥前佐賀藩の第9代藩主。文化2年(1805年)、父の死により藩主を継ぐ。藩内では1万5000貫の借金があり、財政再建を図るため、行政組織の簡素化や肥前鹿島藩の廃藩を試みるが失敗。また、長崎警備の負担軽減を目指し、密かに熊本藩に引き継ぐ計画を立てたが露見し、関係者が処罰される。文化5年(1808年)のフェートン号事件では責任を問われ、100日の閉門を命じられた。財政難が続き、天保元年(1830年)には家督を譲り隠居。隠居後も実権を握り続けたが、天保10年(1839年)、60歳で死去。
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