浦上政宗は、戦国時代の播磨国と備前国を治めた大名である。父の敗死後、家督を継承し、弟の浦上宗景との対立に苦しむ。赤松政祐との激しい抗争を経て和睦し、尼子氏の侵攻に対抗するも、国衆の離反で敗北し堺へと撤退する。後に幕府の助けを得て播磨に復帰し、勢力を回復。備前の国衆と同盟を結び、赤松家臣団を指揮する立場に立つ。尼子晴久との同盟を巡って弟と対立するが、勢力を維持できず、足利義輝の仲裁で和睦を模索する。最終的に赤松晴政を廃し、義祐に家督を継がせるも、龍野赤松氏の独立を招く。永禄7年(1564年)、婚礼中に赤松政秀の奇襲を受け戦死した。法名は実巌祐真禅定門。


