戦国時代から江戸時代前期にかけて活動した武将。近江国新庄城の城主で、父の戦死後にその地位を継いだ。初め足利義晴に仕えたとされるが、その後、織田信長、豊臣秀吉の家臣となる。天正11年(1583年)に近江浅井郡で200石の所領を得、文禄4年(1595年)には1万4600石を領するまでに成長。文禄の役では朝鮮に渡海し、秀吉の没後は京都に隠棲。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属して所領を没収されたが、徳川家康に接近し、後に所領を得る。元和6年(1620年)に79歳で死去。文武に優れた武士として賞賛された。

