安土桃山時代から江戸時代初期の武将である南条元忠は、伯耆羽衣石城の城主であり、天正19年(1591年)に家督を継いだ。しかし、まだ少年だったため、叔父の小鴨元清が後見人として朝鮮出兵に参加する。家中では後見人の座を巡る争いが起こった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍につき、伏見城・大津城を攻めたが、西軍の敗北により浪人となる。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では大坂城に入城し、3000人の兵を与えられたが、徳川方に寝返ろうとしたところを渡辺糺に見破られ、切腹させられた。享年37。彼の遺骸は小姓により持ち帰られた。



