飛鳥時代の豪族である境部雄摩侶は、蘇我氏系列の「境部臣氏」に属し、冠位十二階の最高位である大徳を持っていた。大和政権内での発言力が強く、蘇我馬子の信任も厚かった。推古天皇31年(623年)、新羅との外交問題が発生し、雄摩侶は征新羅大将軍に任命され、数万の軍を率いて新羅を攻めた。戦況は日本に有利に働き、新羅国王は降服したが、この遠征が収賄によるものではないかと噂された。結果として、日本軍は新羅から複数の城を奪い、旧任那地域の城を割譲させた。後に、推古天皇の崩御や蘇我氏内部の暗殺事件などの動静は明らかではない。



