蘇我稲目は古墳時代の豪族で、娘たちを天皇に嫁がせ、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の外祖父となった。宣化天皇元年(536年)に大臣となり、欽明天皇の即位後も引き続きその地位を保持した。欽明天皇13年(552年)、百済から仏像が献上された際、稲目は仏教の受容を支持し仏像を礼拝したが、疫病の発生をきっかけに廃棄されることとなった。蘇我氏と物部氏の対立は続き、この争いは後代にまで影響を及ぼした。稲目はまた、財務に長け、諸国に屯倉を設置し、蘇我氏の支配力を強化した。彼の墓とされる都塚古墳は、当時の大王に匹敵する規模であることが確認されている。










