飛鳥時代の豪族である蘇我赤兄は、蘇我馬子の孫で、冠位は大錦上・左大臣に達した。斉明天皇4年(658年)、天皇の留守中に有間皇子を謀反の罪に陥れたとされる。事件の背景には中大兄皇子(後の天智天皇)の意向があったと考えられているが、赤兄が単独で皇子を陥れたという説もある。天智天皇8年(669年)には筑紫率に任命され、同年には天智天皇の命で藤原鎌足の家に詔を伝える役を担った。671年には左大臣に任命され、大友皇子を支える立場にあったが、壬申の乱で敗北し、配流された。後世、土佐国の安芸氏は彼の子孫を称したが、確証はない。



