奈良時代の貴族で歌人の小野老は、養老3年(719年)に従五位下に昇進し、その翌年には右少弁に任命される。神亀5年(728年)には大宰少弐として大宰府に赴任し、翌年に従五位上に昇進した。藤原四兄弟に近い立場にあり、政治的にも影響力を持ったとされる。大宰府での饗宴で詠んだ和歌は『万葉集』に収められている。天平7年(735年)には大宰大弐となり、薩南諸島に木碑を建てる事業を行う。天平9年(737年)に藤原四兄弟と相前後して没した。最終官位は大宰大弐従四位下。彼の和歌や政治的動きは、当時の藤原氏との関係性を示唆している。


