鎌倉時代後期の長井貞広は、文永8年(1271年)に生まれ、北条貞時から偏諱を受けて名を貞広とする。延慶元年(1308年)と同3年(1310年)には東使として上洛し、正和3年(1314年)には政所執事の補佐を務めた。さらに、歌人としても活動していたようである。元亨3年(1323年)に53歳で死去した。南北朝時代の長井貞広は、北朝の九州探題今川了俊に従い、南朝勢力と戦ったが、水島の変で南朝の反撃を受けて筑後山崎で戦死。建徳2年/応安4年(1371年)に毛利元春の五男広世を養子に迎え、家督を継承させた。








