筒井定次は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将であり、伊賀上野藩主として知られる。永禄5年(1562年)に生まれ、筒井順慶の養嗣子となる。織田信長の娘を娶り、信長の死後は豊臣秀吉の家臣として活躍。天正12年(1584年)に順慶の死後家督を継ぎ、小牧・長久手の戦いや紀州征伐、四国攻めなどで戦功を挙げた。天正13年(1585年)には大和国から伊賀国に移封され、重要な街道の要衝である伊賀上野城を築城。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与し、戦後は所領を安堵される。しかし慶長13年(1608年)、重臣の中坊秀祐に悪政を訴えられ改易。慶長20年(1615年)には豊臣氏に内通したとして自害を命じられた。享年54。キリスト教にも入信しており、ルイス・フロイスからは「人格の優れた人物」と評されている。

