江戸時代前期の大名である織田信武は、明暦元年(1655年)に生まれ、大和国宇陀松山藩の4代藩主を務めた。寛文6年(1666年)には徳川家綱に拝謁し、後に従四位下・出雲守に叙任された。元禄2年(1689年)に父の死により家督を継ぎ、翌年に藩主として初めての国入りを果たした。しかし、元禄7年(1694年)にお家騒動である宇陀崩れが起き、信武は藩内の対立から古参衆を手討ちにし、動揺の末に自殺した。この騒動のため、織田家は丹波国柏原藩への減封と転封処分を受けたが、幕府からの配慮もあり、織田家の格式が完全に失われることは避けられた。信武の自殺は乱心とされ、公的には家臣団の対立が原因とされている。
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織田信武の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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