江戸時代前期から中期にかけての大名で、大和国戒重藩4代藩主、芝村藩初代藩主を務めた。天和元年(1681年)に養子として戒重藩主の家督を継ぎ、天和3年(1683年)に正式に家督を相続。駿府加番を元禄5年(1691年)と元禄15年(1701年)に命じられる。宝永元年(1704年)に陣屋を戒重村から芝村に移転する許可を得たが、実際の移転は延享2年(1745年)に行われた。正徳4年(1714年)に隠居し、家督を三男に譲った。『織田真紀』を編纂するなど、文教方面での功績がある。享保7年(1722年)に61歳で死去し、墓所は奈良県の慶田寺にある。若い頃は政務を家老に任せていたと伝えられる。

