系譜で辿る日本史

選択中の人物

中川久貴なかがわひさたか

中川久貴

中川氏11代当主

実父は柳沢保光

氏族称・清和源氏頼光流
生没1787年 - 1824年
位階従五位下
官職 修理大夫
幕府職豊後岡藩主

豊後国岡藩の第10代藩主として、天明7年(1787年)に江戸で生まれる。寛政10年(1798年)に末期養子として家督を継ぎ、享和元年(1801年)には将軍徳川家斉に拝謁し、従五位下・修理大夫に叙任される。文化元年(1804年)には豊後一国の地誌『豊後国誌』を編纂し、幕府に献納した。文化4年(1807年)から始まった「新法改革」では財政再建を図るも、専売制や重税への反感から文化8年(1811年)に大規模な一揆が発生。翌年、一揆を鎮めるために改革を中止し、横山甚助を罷免する。文化12年(1815年)、井伊家から養子を迎え、家督を譲って隠居。文政7年(1824年)に38歳で死去した。

更新
主な祖先

中川久貴の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史

主な子孫