豊後国岡藩の第10代藩主として、天明7年(1787年)に江戸で生まれる。寛政10年(1798年)に末期養子として家督を継ぎ、享和元年(1801年)には将軍徳川家斉に拝謁し、従五位下・修理大夫に叙任される。文化元年(1804年)には豊後一国の地誌『豊後国誌』を編纂し、幕府に献納した。文化4年(1807年)から始まった「新法改革」では財政再建を図るも、専売制や重税への反感から文化8年(1811年)に大規模な一揆が発生。翌年、一揆を鎮めるために改革を中止し、横山甚助を罷免する。文化12年(1815年)、井伊家から養子を迎え、家督を譲って隠居。文政7年(1824年)に38歳で死去した。

