江戸時代中期の大名である。横須賀藩の第2代藩主として、元禄2年(1689年)に生まれ、元禄9年(1696年)に世子となる。正徳3年(1713年)、父の隠居により家督を継ぎ、享保17年(1732年)には奏者番と寺社奉行を兼任。享保19年(1734年)には若年寄に任命され、延享3年(1746年)から老中を務める。遠江での加増により、藩は3万5000石となった。江戸の文化を横須賀に伝え、地元の祭礼の起源にも関与した。宝暦10年(1760年)に病に倒れ、江戸辰の口で死去した。享年72。跡は養子の忠需が継いだ。


