系譜で辿る日本史

高倉永?

高倉家21代

氏族藤原北家長良流高倉家
生没1839年 - 1868年
位階正三位
官職
幕府職

慶応4年(1868年)、戊辰戦争の勃発に伴い北陸道鎮撫総督に就任。越前、加賀、越中、越後へと軍を進めた。また、山縣有朋や黒田清隆を参謀として登用し、鯨波戦争にも勝利する。
その後会津征討総督を兼務し、更に奥羽征討越後口総督となり奥羽列藩同盟の討伐へ向かうが、その陣中、越後高田で病没。

配偶者
    主な祖先

    後奈良天皇

    14親等祖先

    松平清康

    13親等祖先

    毛利輝元

    10親等祖先

    正親町天皇

    13親等祖先

    二条良実

    20親等祖先

    主な子孫

    高倉永則

    1親等子孫

    男系子孫のみ表示

    養子関係を非表示