江戸時代後期から幕末にかけて大奥で活躍した女性。大納言・池尻暉房の末娘として京都に生まれる。天保3年(1832年)に徳川家定の正室となる鷹司任子の世話役として江戸に出仕し、その後大奥の最高位である筆頭老女に昇格。11代将軍・徳川家斉から14代将軍・徳川家茂までの4代にわたって大奥での重要な役割を担った。安政5年(1858年)頃に一度退くが、再び大奥に戻る。元治元年(1864年)に最終的に大奥を退き、請西藩主・林忠英の元を頼り江戸浜町藩邸に移る。晩年は千葉県木更津市請西に移り住み、明治11年(1878年)に脳卒中で死去した。墓所は木更津市の長楽寺にある。





