平安時代後期の貴族・歌人である源季広は、鳥羽院政期後期に皇太后宮権少進として藤原聖子に仕えた。久安5年(1149年)には近衛天皇の六位蔵人に任じられ、仁平元年(1151年)には左衛門尉を兼任。久寿年間に季広と改名し、保元元年(1156年)には松殿基房の職事となり、侍所を管轄した。基房の子・家房の乳父も務めた。基房失脚後、養和元年(1181年)に九条兼実の家司に召され、文治元年(1185年)には下野守に任命される。『千載和歌集』などの勅撰和歌集に12首が採録され、和歌の分野でも知られる。正治元年(1199年)に死去した可能性がある。











