飛鳥時代末期から奈良時代中期にかけての公卿・歌人。少判事を経て地方官を務め、天平7年(735年)には従五位下に叙爵される。出雲守としての善政が評価され、聖武天皇から絁や布、正税を与えられた。聖武朝後半には昇進が続き、天平20年(748年)に参議となり公卿に列する。藤原仲麻呂の権勢に与り、孝謙-淳仁朝で中納言、正三位と昇進。『養老律令』の施行や『別式』の編集に貢献。天平宝字4年(760年)に御史大夫に至るが、天平宝字6年(762年)に75歳で薨去。『万葉集』に和歌が1首残る。1820年に墓誌が発見され、1952年に国宝に指定された。清廉・勤勉な性格で政治に習熟していた。


