奈良時代の公卿である石川名足は、従三位・中納言まで昇進した。天平宝字5年(761年)に従五位下・下野守に叙任され、その後、称徳朝では伊勢守や備前守を歴任し、陸奥鎮守将軍として蝦夷征討にも従事した。光仁朝では京官に復し、兵部大輔、民部大輔、さらに大宰大弐や右大弁を歴任した。『続日本紀』の編纂にも関与したが、生前には完成せずに他者に引き継がれた。桓武朝においても昇進を続け、延暦4年(785年)中納言に至る。言葉巧みで判断力に優れた一方、性格は偏狭で短気だったため、官人たちは彼を避けがちだったと言われる。享年60で薨去。



