奈良時代から平安時代初期に活動した貴族。僧籍から還俗し、朝廷に再び仕える。延暦13年(794年)に従五位下に叙され、その後も順調に昇進。延暦25年(806年)には桓武天皇の崩御に際し御装束司を務め、平城天皇の即位で正五位下に昇叙。嵯峨朝では内匠頭や民部大輔を歴任し、弘仁年間には正四位に昇進。淳和天皇の即位時にさらに昇叙され、正四位上に。天長年間には山陵の木材伐採や天変地異の祈祷を行う。天長7年(831年)に77歳で卒去。仏教と儒教の教典に精通し、工芸技術の知識も持っていたが、貪欲で他人に施すことは少なかった。



