江戸時代前期から中期の武士である。加賀藩士として1000石を有し、佐々木左近大夫家の3代当主となった。承応3年(1654年)に金沢で生まれ、寛文6年(1666年)に家督を継承。元禄3年(1690年)に歩兵長に、元禄16年(1703年)に騎兵長に就任した。宝永5年(1708年)には『佐々木氏系譜序例』を著し、自らが佐々木氏の嫡流であることを主張。『寛永諸家系図伝』編纂時には、同族の旗本佐々木高重の系図に異議を唱えたが受け入れられず、誤りが続いていると抗議した。平成29年(2017年)に発見された文書により、彼の主張が事実とされる説が有力となった。跡は子の定明が継ぎ、孫の定国の代に2100石に加増された。








