戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将で、尼子氏の家臣。尼子清久の子として生まれる。祖父・塩冶興久の反乱により、尼子一門として苦しい立場にあったと考えられる。永禄9年(1566年)、主君・尼子義久が毛利氏に降伏すると従うが、永禄12年(1569年)の尼子再興軍の出雲侵入時にはこれに参加。元亀元年(1570年)、布部山の戦いで敗退後も高瀬城や末次城で奮闘するが敗走。天正5年(1577年)、織田信長の配下羽柴秀吉に従い、播磨国上月城で籠城する。天正6年(1578年)、毛利氏の大軍に包囲され、自害。上月城には彼を含む尼子再興軍の供養塔が残る。









