室町時代中期から後期にかけて活動した武将。出雲国の守護代であり、月山富田城の城主でもあった。京極氏に仕える中で、主君・京極持清から偏諱を受けて名を清定とした。応仁元年(1467年)頃、父から出雲守護代を引き継ぐ。応仁の乱で京極氏の支配が衰退する中、反京極勢力を鎮圧し、山名氏の侵入を撃退した。これにより、能義郡奉行職や美保関代官職を得た。文明6年(1474年)頃から独立の動きを見せ、公用銭の上納を怠るなどした。文明8年(1476年)には土一揆を鎮圧。長享元年(1488年)に死去。晩年は牢人として漂泊し、病死したと伝えられる。
主な祖先
尼子清定の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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