江戸時代中期の伊達家重臣である。天和3年(1683年)に生まれ、元禄4年(1691年)に父の死去により8歳で白石片倉家の家督を継ぐ。幼少の当主であったため、藩から家政監督として松前為広が派遣された。元禄5年(1692年)には藩主伊達綱村から短刀を賜る。正徳4年(1714年)に藩主吉村から偏諱を受け、村休と改名。享保3年(1718年)には領内に刈田嶺神社の社殿を造営。享保5年(1720年)に37歳で没し、継嗣がいなかったため、家督は一門の伊達村信が相続し、その後村定が継いだ。墓所は宮城県白石市の片倉家廟所にある。








